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長崎地方裁判所 昭和59年(行ウ)5号 判決 1987年11月27日

原告

出山マサエ

右訴訟代理人弁護士

福崎博孝

(ほか二一名)

福崎博孝訴訟復代理人弁護士

原田直子

(ほか三名)

被告

江迎労働基準監督署長右近守

右訴訟代理人指定代理人

安齊隆

(ほか一一名)

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和五四年九月二六日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償年金および葬祭料の支給をしない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡出山市治郎(以下「亡市治郎」という。)は、明治四一年三月二日出生し、昭和八年九月一六日に原告と婚姻したが、婚姻当時既に飯野炭砿株式会社松浦鑛業所に勤務しており、以後、採炭夫、掘進夫(そのほとんどは掘進夫として稼働した。)等の坑内労働者として粉じん作業に従事し、同三八年ころ退職した。亡市治郎は、退職と同時に、右飯野炭砿の下請掘進請負業をしていた前田組に就職し、前田組が倒産するまでの二年間、同じく坑内粉じん作業に従事した。

2  亡市治郎は、飯野炭砿で稼働していた昭和三〇年ころから気になる咳が出始め、慢性気管支炎との診断を受けたが、それをおして働き続け、同社退職当時には一時間あまりも咳の発作が止まらないことさえあった。そして、その後も呼吸困難、倦怠感が顕著となり、体力の衰えと症状の悪化は日増しに進行し、同四七年ころにはごく軽い作業にさえ従事することが不可能となるに至った。

同人は、同五〇年七月五日、長崎労災病院で診断を受けたところ、明らかなじん肺所見が認められ、同年八月一三日、じん肺管理区分四と決定された。

同人は、その後も長崎労災病院にじん肺症の治療のために通院加療を続けたが、同五四年四月一六日午前原告住所地の自宅において、呼吸不全ないしは急性心不全(その原因はじん肺症)により死亡した。

3  原告は、亡市治郎の妻であって、同人の死亡当時その収入によって生計を維持し、また、同人の葬祭を主催したものである。

4  原告は、昭和五四年八月被告に対して、亡市治郎の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付および葬祭料を請求したところ、被告は、同五四年九月二六日亡市治郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、右各給付を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、その旨原告に通知した。

原告は、本件処分を不服として、長崎労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同五五年三月二五日付で棄却され、さらに同年五月一三日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同五八年一〇月二七日付で棄却の裁決がなされ、同五九年一月二一日その旨の通知を受けた。

5  しかしながら、亡市治郎の死亡は、以下に述べるとおり業務上の事由によるものである。

なお、右業務上の判断にあたっては、「被災者が粉じん作業に従事し、じん肺症に罹患したこと」と「右じん肺症およびそれを基盤とする各種合併症に影響され、その影響下に被災者が死亡したこと」との間に合理的な関連性があれば足り、じん肺と死因との間に相当因果関係があることまでは要しないものと解すべきである。

(一) 亡市治郎のじん肺の程度

以下の諸事実によれば、亡安次郎の死亡当時、同人のじん肺は、極めて重篤であった。

(1) 前記のとおり、亡市治郎の粉じん職歴は炭坑内粉じん労働が二〇年間をはるかに超えており、吸入粉じんは多量をきわめ、かつ、岩粉、炭粉のいずれの粉じんをも吸入したいわゆる炭坑夫じん肺ということができる。

同人の症状の概略は前記2のとおりであるが、日常生活の状況をみると、身体の衰弱から衣類の着替えにまで支障をきたし、ほとんど昼間の衣類のままで就寝していた。風呂も嫌がって一週間ないし一〇日に一回くらいしか入浴せず、風呂からあがると疲れきって胸が苦しいといっていた。また、歩行にも支障を生じ、少しの坂でも二、三間歩いては立ち止まっていたし、病院へ薬を取りに行くときも、原告の足では片道一五分くらいしかかからないのに、午前九時ころ自宅を出て帰宅するのは昼すぎころであった。そして、帰宅すると玄関にしゃがみこんでしばらく呼吸を整えてから自宅にあがっていた。

(2) 亡市治郎は、昭和五〇年八月一三日、長崎労働基準局により、胸部エックス線撮影の結果に基づいて、じん肺のエックス線写真像は二型と認定されており、昭和五三年に改正され、同五四年三月三一日に施行された現行じん肺法下の基準によっても、「粒状影一型、不整形陰影二型」と判断されている。

ところで、亡市治郎のような炭坑夫じん肺の場合には、典型けい肺と異なって、粉じん巣が小さい反面、粉じん巣の肺内分布密度が高く、これが粉じん巣の小ささと相まって局所肺気腫を発生させやすく、これによって細気管支と肺胞の連合部の破壊を増強し、小葉中心性肺気腫に発展する。実際、亡市治郎の胸部エックス線写真には著明な肺気腫が認められるが、これは、被告の主張するごとく亡市治郎のじん肺と無関係なものではなく、じん肺(粉じん吸入)により発症したものというべきである。

(3) 亡市治郎の肺機能検査の結果をみると、同人が七〇歳当時の昭和五三年一二月二一日の検査において、一秒率四二・一パーセント(限界値四四・一一パーセント)、パーセント肺活量七九・六パーセント(限界値六〇パーセント)、V25/身長〇・〇六(限界値〇・四四)、肺胞気・動脈血酸素分圧較差三八・四一(限界値三八・五〇)であり、呼吸困難の程度も第Ⅳ度であって、肺機能障害は強く、亡市治郎は慢性呼吸不全患者ということができる。そして、一秒率の異常な低下、Ⅴ25/身長の異状値などからみて、同人の肺機能障害は気腫性変化が主因であるものと推測される。

(4) 肺機能がどの程度障害されているか、じん肺がどの程度重症であるかを判断するについては、右心負荷所見の有無、程度を重視しなければならないが、亡市治郎の心電図所見によれば、右軸変位、肺性Pが認められ、著しい肺機能障害による右心負荷は明らかである。そして、その程度については、昭和五一年の段階では右心肥大にまで至っているとはいえないものの、死亡の年である同五四年には中等度の肺性Pをみるまでに至っている。また、同人には続発性気管支炎の合併症も認められる。

(5) 著しい肺機能障害が長期間継続すると多血症傾向の血液所見を示すこととなるところ、亡市治郎の血液検査の結果によれば、昭和五二年から死亡の年である同五四年にかけて、赤血球が五〇〇万個を超えることが多く、特に多血症の診断基準となるヘモグロビン量が一六・五グラムデシリットルを超えることが多い。また、ヘマトクリット値も五〇パーセント前後を推移している。従って、少なくとも多血症傾向にあることは明らかである。

(二) 亡市治郎の死因

前記のとおり、亡市治郎においては、慢性呼吸不全が呼吸面積を狭めて右心負荷を導き、心電図には長期的に右軸変位、肺性Pが発現していた。このような状態のもとで、亡市治郎は、過労や飲酒もしくは痰の喀出困難等の原因により呼吸不全をきたして死亡したか、または、慢性的右心不全状態の心臓がなんらかのきっかけにより停止して死亡したものである。

これに対し、被告は亡市治郎の死因を心筋梗塞による心臓死であると主張するが、亡市治郎においては、心筋梗塞の危険因子とされる高血圧症状や糖尿病は認められるものの、いずれも軽微であるし、また同じく危険因子とされるコレステロールは正常である。また、被告の主張する、精神的ストレス、運動不足、喫煙による心筋梗塞の発生もいずれも根拠に乏しい。

(三) 亡市治郎の慢性呼吸不全と心筋梗塞(虚血性心疾患)との関連

仮に、亡市治郎の直接の死因が心筋梗塞であったとしても、以下のとおり、同人の慢性呼吸不全が心筋梗塞に多大な影響を与えており、同人のじん肺症と心筋梗塞との間には因果関係が認められる。

すなわち、亡市治郎に多血症傾向が認められることは前記のとおりであるが、心筋梗塞等の血管障害のリスク基準としては、多血症の基準に達しなくともヘモグロビン量一五グラムデシリットル、ヘマトクリット値四五パーセントが指摘されており、亡市治郎はこの基準に達していたのであるから、同人の多血症傾向による血液粘稠度の亢進が心筋梗塞に少なからず影響を与えたといわざるを得ない。

(四) じん肺症の存在と虚血性心疾患の予後不良

慢性肺疾患患者に心筋梗塞等の虚血性心疾患が発生した場合、慢性肺疾患による体力の低下や血液粘稠度の亢進のため、致死率を高率化させるのであり、亡市治郎の場合も、仮に心筋梗塞により死亡したものとしても、その死亡に対しては、重症のじん肺症が影響を与えたものというべきである。

6  よって、被告の本件処分は違法であるから、原告は、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、亡市治郎が明治四一年三月二日出生し、昭和八年九月一六日原告と婚姻したこと、および粉じん作業に従事していたことは認める。その余の事実は知らない。

2  同2のうち、亡市治郎が、昭和五〇年八月一三日じん肺健康管理区分四と決定されたことおよび同五四年四月一六日午前長崎県北松浦郡世知原町で死亡したことは認めるが、死亡の原因がじん肺症であることは否認、その余の事実は知らない。

3  同3のうち、原告が亡市治郎の妻であることは認め、その余の事実は知らない。

4  同4の事実は認める。

5  同5(一)(1)の事実は知らない。同(2)前段の事実は認め(但し、じん肺のエックス線写真像は二型と「決定」されたものである。)、後段の事実は否認する。但し、亡市治郎に著明な肺気腫があることは認める。同(3)のうち、検査の結果および呼吸困難の程度については認めるが、その余の事実は否認する。同(4)のうち、亡市治郎に右軸変位、肺性Pが認められたことは認め、その余の事実は肺性Pの顕著性を含め否認する。同(5)の事実は否認する。同(二)のうち、亡市治郎に肺性Pがみられたことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)、(四)の各事実は否認する。

三  被告の主張

1  亡市治郎のじん肺症の程度

亡市治郎の胸部エックス線所見は、全療養期間を通じてPR2型であって進展はなく、また、全療養期間を通じてもっぱら対症療法が行なわれており、症状にあまり変化はなかったと認められる。そして、肺結核や続発性気管支炎等の合併症も認められない。肺機能障害は認められるが、入院を必要とするまでには至っていない。従って、亡市治郎のじん肺症は重症とは認められない。

2  亡市治郎のじん肺症と肺気腫との関係

亡市治郎には肺気腫が認められ、これが死亡直前までに相当進行し、肺機能障害の要因となっていたものである。原告は、この肺気腫が同人のじん肺症により惹き起こされたものである旨主張するが、じん肺症患者にみられる肺気腫は、一般にじん肺病変が高度に進行した結果発現するものであって、右じん肺の程度では亡市治郎にみられるような肺気腫を惹き起こすものとはいえない。肺気腫は大気汚染等様々な原因によって起こるものであって、亡市治郎の場合もじん肺以外の原因によるものと考えられる。

3  亡市治郎の死因

亡市治郎には高血圧症が認められるとともに、糖尿病が合併し、特に糖尿病については医師の指示が守られず、十分に治療していたものとは認められない。従って、同人には動脈硬化が進行していたことが推認される。そのほか、同人には心筋梗塞の危険因子である心疾患(不整脈、心室性期外収縮)、喫煙、運動不足が認められ、これら心筋梗塞の危険因子が共働して相乗的に危険が増大し、心筋梗塞を惹起したと解するのが相当であり、じん肺との因果関係は認められない。

第三証拠(略)

理由

一  亡市治郎が明治四一年三月二日出生し、昭和八年九月一六日原告と婚姻したこと、同人が粉じん作業に従事していたこと、同人が昭和五〇年八月一三日じん肺健康管理区分四と決定され、同五四年四月一六日午前長崎県北松浦郡世知原町で死亡したこと、原告が亡市治郎の妻であること、請求原因4の事実(本件処分および審査請求等)、亡市治郎が右じん肺健康管理区分決定時にじん肺のエックス線写真像は二型と決定され、改正後のじん肺法の基準によっても粒状影一型、不整形陰影二型と判断されていること、同人に著明な肺気腫が認められること、同人の昭和五三年一二月二一日(七〇歳当時)の肺機能検査の結果および呼吸困難の程度が請求原因5(一)(3)のとおりであること、同人に肺性Pが認められたことは当事者間に争いがない。

二  そこで、亡市治郎の死亡が労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否かについて以下判断する。ところで、労働者が疾病により死亡した場合において、死亡の原因となった疾病が業務上のものであれば、業務上死亡した場合に該当すると解されるところ、労働基準法七五条二項は、業務上の疾病の範囲については命令で定める旨規定し、これに基づいて同法施行規則三五条、別表第一の二が定められているので、亡市治郎の死因となった疾病が右別表に掲げる疾病に該当するか否かについて検討することが必要となる。すなわち、亡市治郎が粉じん作業に従事し、じん肺健康管理区分四と決定されていたことは当事者間に争いがないから、原告の主張する亡市治郎の死因となった疾病が右別表第一の二第五号のじん肺ないしじん肺法施行規則第一条各号に掲げられた法定合併症・続発症に基づくか、そうでなければ、同第一の二第九号の業務に起因することの明らかな疾病に基づく場合は、亡市治郎の死亡は業務上の死亡と認められることになる(従って、原告が亡市治郎の死因として主張するもののうち、じん肺による呼吸不全はそれが認められれば、同表第五号の粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症」に該当することとなり、一方、慢性的右心不全は、右第五号の疾病には該当せず、同表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが問題となる。そして、同人のじん肺が右のとおり同表第五号に該当するから、同人のじん肺と慢性的右心不全との間に相当因果関係が認められる限り、慢性的右心不全は同表第九号の規定する疾病に該当するものと解すべきである。)。

よって、以下では、亡市治郎の死因およびその死因となった疾病とじん肺との因果関係について検討することとするが、その前に亡市治郎の死亡に至る経緯および同人のじん肺の程度をみておくこととする。

三  亡市治郎の死亡に至る経緯

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

1  亡市治郎は、昭和三八年九月飯野炭砿株式会社を定年退職(当時年齢五五歳)し、その後右飯野炭砿の下請けをしていた訴外前田組に再就職したが、昭和四〇年ころ右前田組の倒産により、炭坑労働から退いた。同人は、右定年退職の数年前から咳、痰が出ており、世知原町の毛利医院で慢性気管支炎との診断を受けていた。同人は、右前田組退職後、二、三年の間は夜警の仕事をしていたが、それをやめてから後は(当時年齢五九歳ないし六〇歳)、職に就くこともなく、死亡に至るまで約一一年ないし一二年間自宅で生活していた。なお、右自宅での生活の間に、亡市治郎は右毛利医院で血圧が高いと診断され、高血圧治療のための投薬を受けていた。

2  同人がじん肺の検診を受けたのは昭和五〇年が最初のことであり、それは、その二、三年前に原告の知人が原告から亡市治郎の症状をきいて、労災病院で診療を受けるよう勧めたことがきっかけであった。この検診により、同人はじん肺と診断された。

同人は、昭和五一年ころ毛利医院で糖尿病の傾向があると診断され、通院のたびごとに尿と血液の検査を受けていたが、昭和五三年七月以降は同病院に通院することをやめ、以後は糖尿病についての検査及び治療は受けていない。

3  亡市治郎の退職後の日常生活の状況をみると、毛利医院の医師からは適度の運動を勧められていたものの外出することは少なく、自宅で座ってテレビを見ていることが多かった。また、酒は若いころから好きでよく飲んでいたが、毛利医院で糖尿病の傾向を指摘されてからは、医師の指示もあって、二五度の焼酎をそのまま薄めずに晩酌に一合くらい飲む程度にしていた。たばこは、二七歳ころから死亡するまで一日二〇本くらい喫っていた。

亡市治郎は、昭和五〇年に労災病院で診察を受けたころには呼吸困難の症状が悪化し、日常生活でも晩酌をすると衣類の着替えを嫌って普段着のまま寝たり、風呂に入るのを嫌がって一週間ないし一〇日に一回くらいしか入浴していなかった。しかし、呼吸困難その他の症状により入院治療を受けることが必要であると診断されたことはなかった。

4  亡市治郎の死亡前日の昭和五四年四月一五日の生活状況をみると、当日は世知原町の町議会議員の選挙の公示日にあたっており、同人は自宅を森みちよし候補の選挙事務所として提供していたため、昼間は自宅の縁側から街頭を回る森候補に手を振って応援するなどし、同候補が選挙運動を終えて午後九時ころ亡市治郎宅に帰ってきてから、亡市治郎は祝い酒の相伴等をしてコップに一杯と三分の一ほど焼酎を薄めずに飲み、近所の人達も含めて約一時間歓談した後、午後一〇時過ぎころ普段着のままで就寝した。

翌四月一六日は、原告が午前六時ころ起きたときには、亡市治郎はまだ眠っていたものの異状は感じられなかった。ところが、同人は、原告が孫の食事の支度などをしているうちに、通常であれば午前七時ころには起きてくるのに、その日は午前八時ころになっても起きてこないため、原告が様子を見にいったところ、身体の温もりはあったものの呼吸をしている気配がなく、原告が慌てて毛利医院に電話して毛利医師に来てもらったが、同医師が到着した同日午前八時一五分ころには、既に亡市治郎は死亡していた。当時満七一歳であった。

5  毛利医師は、亡市治郎の死因を判断しかねて、同人がじん肺治療のため通院していた長崎労災病院の持永医師に問い合わせたところ、主治医は不在であったが、持永医師がカルテを見たうえで、じん肺のため呼吸面積が狭くなっており、肺性心による心不全が適当との意見を述べたので、毛利医師もこれに従い、同人作成の死亡診断書において、直接死因を急性心不全、その原因をじん肺症と記載した。

四  亡市治郎のじん肺の程度

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

1  じん肺の程度は、粉じん作業職歴、胸部エックス線写真像、肺機能検査、胸部に関する臨床検査等を総合して判断されるものであるが、以下のとおりである。

2  亡市治郎の粉じん作業職歴

亡市治郎は、昭和初めころから炭坑労働に従事し、昭和一七年二月から同三八年九月まで訴外飯野炭砿株式会社で採炭係員として働き、その後も約二年間は訴外前田組で仕繰夫として働き、右飯野炭砿での就労期間のみをみても粉じん作業職歴は通算二〇年七月に及んでいる。

3  胸部エックス線写真像

(一)  じん肺とは、粉じんの吸入によって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいい、その線維化した部分は炭坑夫じん肺においては一・〇ないし一・五ミリメートルの大きさの小結節を形成し、エックス線写真上粒状影または線状、細胞状、網目状等の不整形陰影として現われる。そして、吸入粉じん量が増加すると、肺胞に粉じんが充満して塊状巣を形成し、これがエックス線写真上大陰影として現われる。

従って、じん肺法では大陰影の有無、粒状影または不整形陰影の数によってじん肺のエックス線写真像を第一型から第四型までの四段階に区分し、大陰影があると認められるものを第四型とし、それ以外のものは、両肺野における粒状影または不整形陰影の数によって、その数が少数のものを第一型、多数のものを第二型、極めて多数のものを第三型としている(もっとも、以上の区分は昭和五二年七月一日の改正じん肺法(同五三年三月三一日施行)に基づくものであり、右改正前においては、じん肺を粒状影を主とするものと異常線状影を主とするものとに大別したうえで、それぞれを第一型ないし第四型に区分し、粒状影を主とするものについては、粒状影の分布する範囲および密度で第一型ないし第三型を区分していた。)。

(二)  そこで、以下亡市治郎の胸部エックス線写真像について検討する。

(1) 亡市治郎が昭和五〇年七月長崎労働基準局長宛に提出したじん肺健康診断等の結果証明書、同五二年から同五四年にかけて労働者災害補償給付の受給の継続のために毎年作成された診断書(以下「労災保険診断書等」という。)によれば、同人の胸部エックス線写真像は、同五〇年七月五日撮影分については、粒状影第三型、異常線状影第二型、同五二年四月四日撮影分(<証拠略>によれば同五〇年四月四日と記載されているが誤記と認められる。)および同五三年一月二〇日撮影分については粒状影第二型(以上は改正前の基準によっている。)とされ、同五四年一月一九日撮影分については粒状影第一型、不整形陰影第二型(改正後の基準による。)とされている。

(2) 証人種本基一郎および同海老原勇は、同市治郎の昭和五〇年七月五日、同五四年四月六日各撮影の胸部エックス線写真について、いずれも改正後の基準によるじん肺の第一型であると証言している。

(3) 以上によれば、亡市治郎の胸部エックス線写真像は、改正前の基準でおおよそ粒状影第二型、改正後の基準で第一型に該当するものと認めるのが相当である。

4  肺機能検査の結果

(一)  肺機能の検査は、肺活量の測定を基礎として行なわれるのが一般である(なお、肺活量測定については、肺活量、二段肺活量、努力性肺活量、一秒量、パーセント肺活量、一秒率等の概念があるが、このうち肺活量とは各種肺活量のうち最大値を示したもの、二段肺活量とは吸気肺活量と呼気肺活量との合計値、努力性肺活量とは最大努力下に休速に呼出させたガス量、一秒量とは呼出開始から一秒間のガス量、パーセント肺活量とは肺活量と身長および年齢から算出された肺活量基準値との比、一秒率とは一秒量と努力性肺活量の比をそれぞれいう。そして、二段肺活量比とパーセント肺活量の値は一致する。)。

なお、じん肺法の改正後は、フロー・ボリューム曲線の検査により、V25(努力性肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度)を求める方法、動脈血酸素分圧および動脈血炭酸ガス分圧を測定し、これらの結果から肺胞気・動脈血酸素分圧較差を求める方法も採用されている。

(二)  そして、改正後の基準によると、パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、または、一秒率が年齢六七歳で四五・二三パーセント、年齢六九歳で四四・四八パーセント、年齢七〇歳で四四・一一パーセント未満の場合にそれぞれ「著しい肺機能障害がある」ものとされる(なお、改正前においては、パーセント肺活量が八〇パーセント以上で、かつ、一秒率が七〇パーセント以上のものを「換気機能正常」と取り扱っていた。)。

また、V25を身長で除した値(以下「V25/身長」という。)が年齢七〇歳で〇・四四未満の場合「肺機能が相当低下している」と判定される。

さらに、肺胞気・動脈血酸素分圧較差については、年齢七〇歳で三八・五〇TORRを超える場合「著しい肺機能障害がある」と判定される。

(三)  そこで、亡市治郎についてこれらをみるに、各年度の数値は以下のとおりである。

ア 昭和五〇年七月(年齢六七歳)

二段肺活量比 六八パーセント

一秒率 四四パーセント

イ 昭和五二年四月(年齢六九歳)

二段肺活量比 六二パーセント

一秒率 三五・二パーセント

ウ 昭和五三年一月または二月(年齢六九歳)

二段肺活量比 七二・五パーセント

一秒率 三六・六パーセント

エ 昭和五三年一二月(年齢七〇歳)パーセント肺活量 七九・六パーセント

一秒率 四二・一パーセント

V25/身長 〇・〇六

肺胞気・動脈血酸素分圧較差 三九・五TORR

(四)  以上によれば、二段肺活量比(パーセント肺活量)以外は、いずれも著しい肺機能障害または肺機能の相当低下を示す値であり、亡市治郎の肺機能はかなり障害されているものと認められる。

5  胸部臨床所見

亡市治郎の呼吸困難の程度は、前記労災保険診断書等によればビュー=ジョーンズの分類で、昭和五〇年、同五二年第Ⅲ度(平地でも健康者なみに歩くことができないが、自己のペースでなら一キロメートル以上歩ける者)、同五四年第Ⅳ度(五〇メートル以上歩くのに一休みしなければ歩けない者)とされている。なお、同人の日常生活の状況をみると、呼吸困難のため、風呂に入るのを嫌がり、一週間ないし一〇日に一日くらいしか入浴せず、また衣類の着替えもおっくうがって、昼間の衣類のまま就寝することが多く、死亡前夜もそうであった。そして、咳や痰は継続的に認められる。

6  以上2ないし5の事実によれば、亡市治郎のじん肺の程度については、胸部エックス線写真像と肺機能検査、胸部臨床所見等との間にくい違いがあり、一概には決し得ない。ところで、亡市治郎に著明な肺気腫が認められることは当事者間に争いがなく、証人種本基一郎、同石川寿、同海老原勇の各証言によれば、同人の肺機能障害は同人の肺気腫によるものと認められる。そして、亡市治郎の肺気腫が同人のじん肺に起因するものであるか否かについては原、被告間で見解が対立しており、この点をどうみるかによって、亡市治郎のじん肺の程度についての評価も変わってくるものであるから、以下では、項を改めて、同人のじん肺と肺気腫との関連性について検討することとする。

五  亡市治郎のじん肺と肺気腫との関連性

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

1  肺気腫は、肺胞中隔の破壊または終末呼吸単位である細葉の拡張による肺の末梢気腔の過膨張と定義されているが、その中には、主として呼吸細気管支に生じその拡張のみをもたらす粉じん吸入による局所肺気腫のほか、より一般的なものとして中隔の破壊や拡張が終末細気管支から呼吸細気管支の領域で細葉の中心部にのみ限局した小葉中心性肺気腫や、気道と肺胞のすべての隔壁が破壊され、肺葉内で一様に細葉に病変を起こす汎細葉性肺気腫などがある。肺気腫は本来病理学上の概念であるから、正確には解剖を実施しなければ確定診断はできないが、臨床的には、肺気腫のエックス線写真による判定基準として、<1>末梢肺野での血管影の減少、<2>正面および側面写真で認める横隔膜の平坦化と反転またはその一方、<3>不規則なエックス線透過性を示す肺野、<4>側面写真でみられる後胸骨腔の拡大の四つが挙げられている。亡市治郎の場合、死体解剖されていないが、胸部エックス線写真像において横隔膜の低化、エックス線透過性の亢進がみられ、肺気腫と認められる。しかし、右エックス線写真において同人の肺気腫が粉じん吸入による局所肺気腫であるか、それとも一般的な小葉中心性肺気腫または汎細葉性肺気腫であるかは明らかではない。

2  そこで、肺気腫の原因についてみてみるに、局所性肺気腫は前記のとおり粉じん吸入を原因とするものであり、じん肺はその早期の段階から気腫様変化を伴うことが多いといわれている。一方、一般の肺気腫の原因については喫煙や大気汚染のほか様々な原因が挙げられているが、喫煙がもっとも重要な因子とされている。

ところで、亡市治郎はじん肺に罹患しているほか、前認定のとおり二七歳のころから死亡にいたるまでたばこを一日二〇本くらい喫っていたのであるから、いずれの肺気腫である可能性もあるというべきであるが、この点について本件の証人らは次のとおり証言している。

(一)  種本基一郎証人

粉じん職歴との関係を全く否定することはできないものの、じん肺による肺気腫であれば粒状影や不整形陰影がある程度強度に出るはずであり、亡市治郎のじん肺は胸部エックス線写真像の第一型であることからみると、じん肺以外の原因による一般の肺気腫と考えられる。

(二)  石川寿証人

じん肺による肺気腫と一般の肺気腫とは若干形が異なり、亡市治郎の場合は肺が膨らんでいるから一般の肺気腫と認められる。

(三)  海老原勇証人

肺気腫の場合は、エックス線の透過性が高まるから粒状影等がみえなくなることがあり、胸部エックス線像が軽度であるからといってじん肺が軽度であるということはできないし、従って、じん肺と肺気腫の関連性が認められないというものでもない。じん肺と肺気腫との関連性は職歴等とも総合して判断すべきであり、亡市治郎の粉じん職歴を併せ考えると、同人の肺気腫はじん肺によるものと認めるのが相当である。

以上のように、亡市治郎のじん肺と肺気腫との関連性の有無については評価が分かれている。そしてじん肺法は胸部エックス線写真像が第一型のものであってもじん肺による著しい肺機能障害があると認められるものについては、管理区分四としており、亡市治郎の著しい肺機能障害はその肺気腫によること前記認定のとおりであるから、同人が受けた管理区分四の決定は亡市治郎の胸部エックス線写真像が第一型であっても同人の肺気腫とじん肺との関連性を肯定しているものということができる。しかしながら、亡市治郎の右健康管理区分決定時において、その肺機能障害を来している肺気腫がじん肺によるものか、それ以外の原因によるものか詳らかに検討された資料はないところ、粉じん作業者にみられる肺気腫は粉じんでなく喫煙や職業以外の環境因子によるとする見解が有力であることも事実であり(<証拠略>)、また亡市治郎が若いころから死亡に至るまで喫煙歴があったことも前記のとおりで、しかも、じん肺特有の局所性肺気腫よりも一般の肺気腫の形がみられることからすると、同人の肺気腫が喫煙を原因とするものである可能性も否定することはできず、同人のじん肺と喫煙との双方が原因となった可能性もあり、この点は、亡市治郎について病理解剖がなされていない以上、臨床的立場から判断するほかない。しかるところ、亡市治郎の胸部エックス線写真像が第一型で前記種本、石川両証人の供述に徴すれば、同人の肺気腫はじん肺以外の原因による可能性が強く、じん肺が影響したことが否定できないとしてもその程度は弱いものと判断されるから、同人のじん肺自体が重症であったと認めることはできないものといわねばならない。

六  亡市治郎の死因

1  亡市治郎の死因について、原告は呼吸不全または慢性的右心不全状態による心臓停止である旨主張するのに対し、被告は心筋梗塞であると主張するので、以下この点について判断する。

2  亡市治郎の死亡に至る経緯は前記三のとおりであり、同人の死亡の態様はいわゆる突然死であるということができる。ところで、証人種本基一郎、同石川寿、同海老原勇の各証言によれば、一般的に突然死の原因としては循環器疾患が圧倒的に多く、次いで脳血管障害、呼吸器疾患の順であり、原、被告の主張する死因はいずれも突然死の原因となりうるものであるから、以下さらに、原告の死因がそのいずれであるかという点について検討を進めることとする。

3  まず、呼吸不全死について検討する。

亡市治郎が呼吸困難の状態にあったことは前認定のとおりである。ところで、証人種本基一郎、同石川寿の各証言によれば、一般に呼吸不全による死亡の場合には苦しさを訴えるのが普通であるが、亡市治郎の場合は、前認定のとおり、死亡時に原告はすぐそばにこそいなかったものの、同一家屋内にいたにもかかわらず、亡市治郎が苦しみを訴えた形跡はない。また、同人は、死亡前夜、世知原町の町議会議員の候補者らと焼酎を飲みながら歓談していたというのであって、この点からみても、同人の症状が呼吸不全死を惹き起こすほどに重篤であったものとは認め難い。

もっとも、証人海老原勇は、呼吸不全で死亡する場合も苦しまないですっと死亡する場合もままある旨供述するが、そのような場合があるからといって、亡市治郎の死亡を呼吸不全と認めることはできないものといわねばならない。また、長崎労災病院の医師頴川定松も亡市治郎の死因を呼吸不全と述べているが<証拠略>、呼吸不全の原因については、当初は過労または飲酒としていたのに対し、後には痰の喀出困難または布団ののしかかりを述べるなどその見解は一定しておらず、ここから呼吸不全死と認めることもできないものといわねばならない。

4  次に、慢性的右心不全状態による心臓停止について検討する。

(一)  亡市治郎に肺性Pが認められることは当事者間に争いがない。そして、その程度については、証人種本基一郎の証言によれば、中程度ということであり、証人石川寿の証言によれば、その傾向がみられる程度というに過ぎない。

(二)  ところで、右各証人の証言によれば、肺性Pとは、心電図のP波に異常が認められることをいい、これが重いと心臓の右心室肥大を窺わせることになる。しかしながら、右のとおり亡市治郎の肺性Pはそれほど異常とは認められないから、ここから、心臓停止に至るほどの右心不全状態を認めることはできない。

(三)  さらに、右各証人の証言によれば、亡市治郎に心臓の右軸変位が認められ、これは肺性Pなど他の所有と併せて右心負荷の資料となり得るものではあるが、亡市治郎の場合は、ここから心臓停止に至るほどの慢性的右心不全状態を証拠上認めることはできない。

(四)  また、前認定のとおり、毛利医師は死亡診断書において、亡市治郎の直接死因を急性心不全、その原因をじん肺症としているが、これは同医師が持永医師に問い合わせて記載したものであり、持永医師は直接亡市治郎を診察したうえで判断したものではないから、原告の主張を裏付けうるほどの信を措くことはできない。

5  さらに、心筋梗塞について検討する。

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  心筋梗塞とは、心臓を養っている冠動脈の閉塞によって灌流領域の心筋が壊死に陥る病態をいい、その原因でもっとも多いのは冠動脈硬化に基づく冠血栓である。そして、冠動脈疾患を惹き起こす危険な因子を冠危険因子といい、そのうち、高コレステロール、高血圧、喫煙、糖尿病、肥満、遺伝体質、心電図の異常が大危険因子といわれている。そのほか、精神的ストレスも危険因子とされている。そして、これらの危険因子については、互いに関連があって、その数が多くなるほど危険が大きくなり、しかも単純な和ではなく、相乗的に危険が増大していくものとされている。

(二)  そこで、亡市治郎について、これらの危険因子の有無をみてみるに、以下の諸点が認められる。

(1) 亡市治郎が毛利医院で高血圧と診断され、投薬治療を受けていたことは前認定のとおりであるが、同人の血圧の値をみると以下の通りである。

昭和五〇年七月九日 最大血圧一五二、最小血圧九〇(以下、「一五二―九〇」というように表示する。)

同五二年四月一二日 一八六―一〇二

同五三年二月一七日 一七四―一〇〇

同五四年二月二三日 一四八―七四

同五四年四月六日 一六八―七四

以上の結果および種本基一郎、同石川寿の各証言によれば、投薬により、血圧はコントロールされてはいるものの、同人には高血圧が認められる。

(2) 亡市治郎が二七歳のころから死亡に至るまで一日二〇本くらい喫煙していたことは前認定のとおりである。

(3) 亡市治郎が毛利医院で糖尿病と診断されたことは前認定のとおりであるが、同人について昭和五〇年七月九日(満年齢六七歳)に実施された五〇グラム糖負荷試験の結果は次のとおりである(単位ミリグラム/デシリットル。以下単に「ミリグラム」と表示する。)。

空腹時血糖値 一〇八ミリグラム

三〇分値 一七三ミリグラム

六〇分値 二二五ミリグラム

九〇分値 二五四ミリグラム

一二〇分値 一七六ミリグラム

一八〇分値 一三七ミリグラム

ところで、糖尿病か否かを判定する基準値については様々な見解があり、最も認定に厳しい見解では、年齢六〇歳以上では空腹時血糖値一二〇ミリグラム以上かつ二時間値二四〇ミリグラム以上のものを糖尿病とするから、この基準によれば亡市治郎は糖尿病とはならないが、アンドレスのノルモグラムによれば、年齢六七歳で二時間値約一三〇ミリグラム以上は糖尿病とされる。従って、この基準によれば、亡市治郎は糖尿病ということになる。そして、証人種本基一郎、同石川寿も亡市治郎は糖尿病である旨述べており、同人は重症とまではいえないものの糖尿病であったと認められる。

(4) 心電図の異常

同人の昭和五〇年一〇月一七日の心電図においては、心房性期外収縮が、同五一年二月三日の負荷心電図、同年七月二日の安静時心電図では心室性期外収縮がそれぞれ認められる。もっとも、同人については、他にも多数回にわたって心電図がとられているにもかかわらず、右以外には異常は認められていないので、右心電図の異常をさほど過大に評価することはできないが、右のとおり、数回の異常がみられたことは事実である。

以上によれば、亡市治郎は、心筋梗塞の危険因子を複数有していたことが認められ、また、前認定の同人の死亡前日の生活状況によれば精神的ストレスがあったことも推認される。

6  なお、突然死の原因としては、他に脳血管障害もありうるが、証人石川寿の証言によれば、脳血管障害の場合には発生から死亡まで少なくとも三時間ないし半日かかるのが通常であり、前記亡市治郎の死亡の状況からみると、脳血管障害である可能性は低い。

7  以上の検討結果をふまえると、亡市治郎の死因は、原告の主張するごとく呼吸不全または慢性右心負荷による心臓停止ではなく、心筋梗塞と認めるのが相当である。

七  亡市治郎の慢性呼吸不全と心筋梗塞との関連

1  原告は、亡市治郎の死因が心筋梗塞であるとしても、同人の慢性呼吸不全による多血症傾向が心筋梗塞の発生に影響を与えたものと主張する。ところで、前記のとおり同人の呼吸不全の原因は肺気腫と考えられるが、同人の肺気腫は喫煙を原因とする可能性が強くじん肺ないし粉じん作業が原因として影響したとしてもその程度は低いこと前記のとおりであるから、原告のいう多血症傾向が認められ、それが心筋梗塞に影響を与えたものとしても、業務起因性が認められるかについては疑問といわざるを得ないが、ここでは一応その点は措いて、原告の主張の当否について検討することとする。

2  成立に争いのない(証拠略)によると、以下の(一)、(二)の事実が認められる。

(一)  多血症とは、血液中の赤血球、ヘモグロビン量、ヘマトクリット値などが増加し、その結果血液の粘稠度が増加して血液循環に重大な障害を生じる症状をいう。そして、その判断基準としては、ヘマトクリット値についてみれば、五五パーセント以上とされている。なお種本基一郎証人は多血症の基準について、赤血球数については五五〇万以上(単位・個数/立法メートル。以下単位は省略する。)、ヘモグロビン(血色素)量については一七ないし一八以上(単位・グラム/デシリットル。右同)であると証言している。

(二)  ところで、亡市治郎については、昭和五〇年七月から同五四年四月までの間に合計二二回にわたり、赤血球数やヘモグロビン量、ヘマトクリット値の検査が行われているが、その検査結果によれば、ヘマトクリット値は四七パーセントないし四八パーセント台がもっとも多く、合計一〇回であり、五〇パーセント台は六回である(なお、最高値は昭和五〇年八月の五七・七パーセントであり、五五パーセントを超えたのは二回だけである。)。なお、赤血球数は最高五五一万、最低四五三万で五〇〇万前後で推移しているし、ヘモグロビン量は最高一九・〇、最低一五・四であり、一六・五以下が一四回を数える。

従って、以上(一)、(二)の事実によれば、亡市治郎は多血症とは認められない。

(三)  もっとも、原告は多血症に至らなくとも、それに近い場合には心筋梗塞のリスクファクターとなる旨主張し、ヘマトクリット値四五パーセント以上になると危険である旨記述している文献もあり(<証拠略>)、証人石川寿も亡市治郎の多血症傾向を認めている(もっとも証人種本基一郎はこれを否定している)。しかしながら、亡市治郎が多血症傾向であったとしても、そのことから直ちに同人の心筋梗塞が多血症傾向により惹き起こされ或は少なからざる影響を与えたものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

八  じん肺症の存在と虚血性心疾患の予後不良

原告はさらに、慢性肺疾患患者に心筋梗塞等の虚血性心疾患が発生した場合には、慢性肺疾患による体力の低下や血液粘稠度の亢進のため致死率を高率化させるものであり、亡市治郎が心筋梗塞で死亡したものであるとしても、同人の慢性肺疾患がその予後に影響を与えたとする。

しかしながら、亡市治郎に多血症傾向による血液粘稠度の亢進があったとしても、それが心筋梗塞の予後を悪化させたことを認めるに足る証拠はない。また、亡市治郎に体力の低下があったであろうことは前記同人の死亡に至る経緯で認定した事実から推認できるところではあるが、それは、じん肺によるというよりも、じん肺と関連性の薄い肺気腫によるところが多いと思われるし、またそれが心筋梗塞の予後を悪化させたことを認めるに足る証拠はない。

九  以上のとおりであって、亡市治郎の死因は心筋梗塞であり、これとじん肺に相当因果関係を認めることはできない(原告は、じん肺と死亡との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが、この見解は採用しない。)。従って、亡市治郎の死因は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第五号、第九号のいずれにも該当しないから、亡市治郎の死亡は業務に起因するものではないとして原告の労災保険給付の申請を却下した被告の本件処分は適法であり、その他これを取り消さなければならない違法は認められない。

一〇  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松島茂敏 裁判官 大段亨 裁判官 大須賀滋)

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